常識を疑うことから始まる knowledgeless Knowledge 2003 6 26
一時は、世界最強とまで言われたソ連という国家が消えたのは、
1991年であった。十数年前の出来事であった。
今から、20年前は、ソ連という共産主義国家の脅威が、
さんざん語られたはずである。
なかには、ソ連が理想国家であるかのように述べる知識人までいた。
大学では、マルクス経済学が盛んであった。
あの時代は、強大なソ連という国家とマルクス経済学が、常識であった。
この常識は、1991年で消えた。
同時に、ソ連とマルクス経済学を常識にした知識人も消えた。
時には、常識を一切、捨てて、まったく、新しい発想をすることも必要である。
これは、年を取れば取るほど、できなくなる。
なぜなら、今まで築き上げてきた知識や名誉を、
一切、捨てることになるからである。
これは、若者にはできるが、年を取れば取るほど、できなくなる。
しかし、どのような知識人でも、時には、一切の知識を捨てる。
いったん、無知になることである。
無知を宣言することである。
無知を知ることは、大変、勇気が必要なことであるが、
しかし、一生のうちで、何回かは、無知になるべきである。
人生をリセットすることである。
人生を白紙に戻すことである。
人生を無知の状態へ戻すことである。
しかし、無知を知ったときから、新しい人生が始まる。
新しき出発である。
常識が次々と覆される現代では、
無知を知る者が、もっとも強い。
常識が次々と覆される現代では、
常識をたくさん抱える者ほど、
不安の日々を送ることになる。
自分の持っている常識が、いつ何時、覆されることになるか、
不安の日々である。
そんなに不安ならば、今、抱えている常識をすべて捨ててしまうことである。
いったん、無知になることである。
しかし、無知を知る者こそ、現代では、強者である。
アメリカでは、学校で、こんな討論をする。
もし、私が大統領なら、アメリカをどうするか。
日本の学校では、もし、私が首相だったら、日本をどうするか。
こんな討論の訓練は、残念ながら、日本では、ない。
もし、私が大統領なら、
アメリカを軍事国家から、情報産業国家へ、そして、
宇宙産業国家へと転換する。
昔、大航海時代というものがあった。
大航海時代という勇気の時代があった。
現代の大航海時代とは、宇宙への旅立ちである。
大航海時代には、多くの犠牲者もでたでしょうが、
しかし、それでも、新しい大陸を求めて、
未知なる土地を求めて、
港を出発したのです。
現代の港とは、宇宙への出発基地である。
宇宙への大航海時代を始める時代が来ているのである。
大航海時代は、エンジンもなければ、GPSもなかった。
船の上に張った大きな布と、夜空の星が頼りであった。
危険は数知れず、犠牲者も数知れず、
しかし、それでも、新時代を切り開いたのです。
地球に冒険するところがなくなった今、
宇宙へ冒険を始めるべきである。
宇宙への冒険で、数人でも犠牲者がでると、
すぐ、萎縮してしまう。
しかし、戦争で、何百人の犠牲者がでても、
任務を追行する。
戦争でできて、宇宙への挑戦では、なぜ、できないか。
もう戦うべき戦場は、地球にはないのです。
戦うべき戦場は、宇宙への挑戦なのです。
大航海の時は、今。